新しい観光産業で粟国島を盛り上げていきたい
- flight_land Iターン
- today 2009年3月に移住
- business 航空会社常駐員
- person ひろぽんさん

目次
移住する前は何をされていましたか?
生まれは大阪で、1歳になる前に沖縄県本島の南城市に家族で引っ越してきました。
卒業後は、そのまま沖縄本島で、水道設備の図面の設計や実際に現場に出向いて作業などを行う仕事をしていました。
移住のキッカケはなんですか?
父親の故郷が粟国島だったということが大きいですが、スローな生活にもともと憧れていたんです。
父親の繋がりで誰もさわっていない畑があって、農業ができる環境があることが一番の理由です。
粟国島の第一印象は、とにかくなにも無いということですね(笑)。店も少ないし、人も少ない。
これぞ田舎という感じで、とにかく異文化で異国に感じました。
移住後はどんな暮らしをしていますか?
最初は3ヶ月ほどホテルでバイトをしていましたが、縁があって現在は、航空会社に勤めています。
移住のきっかけでもある畑もやっているので、サトウキビを育てたりヤギや牛を飼っています。
休みの日は、とにかくまわりに海しかないので、釣りなどの海遊びをしています。
朝日や夕日を見に行ったりと、とにかくスローな生活を送っていますね。
まわりのみなさんも本当の家族のように受け入れてくれていて、各家で飲み会を開くことも多々あります。とても充実した日々ですね。
粟国村の魅力はどんなところですか?
やはり、住んでいる人が良いところです。
また、海に囲まれて、朝日や夕日を見ながらゆっくり過ごすことができるのが魅力ですね。
沖縄本島だと、何をするにも車を出して遠出をしないといけなかったのですが、粟国島は良い意味でこじんまりしているので、
手に届く範囲でいろんなことができることも魅力です。渋滞もまったく無いですし(笑)。
移住する時、不安に思われたことはありますか?
父親の故郷ではありますが、島内に親戚は少なく付き合える人も少ないというところが一番不安でした。
ですから、最初は頼る人が少なかったですし、誰かに頼ることに抵抗があって、
自分でなんとかしようとしていたことが、今思うと、とても苦労したことですね。
スローな生活にずっと憧れていましたが、粟国島に住んだからといって、自分が満足できるのかも不安でした。
いざ住んでみたら、暇に耐えられないんじゃないかって…。
移住する時、戸惑ったことはありますか?
最初は粟国島独自の風習などの違いに戸惑いました。
移住したばかりの時、海辺で大きな流木を見つけたんです。
とても立派な流木だったので、椅子にしようと思って、30分ほどかけて自宅に持って行きました。
ひとりで満足していると、まわりの“おばー”が、「流木を早く捨ててきなさい」って言うんです。
話を聞くと、粟国島では、流木には霊がのっていると考えられているんだそうで…。
しかたなく、また30分かけて流木を海辺に戻したことがあります。実際に住んでみないと、リアルな文化の違いは見えてこないですよね。
流木を運んだあの経験はキツかったです(笑)。
地域にとけこむために意識したことはありますか?
とにかく、積極的に話しかけることですね。
人と仲良くならないととけこめない。コミュニケーションを取り続ければ関係は近くなれるし、気にかけてくれる。
逆に相手がこまったら、積極的にこちらからも助けること。お酒の場に顔を出すのも、とても大事ですね。
私の場合は、移住した早い時期から空港で勤務できたので、その時に島のみなさんに顔を覚えてもらえたのも大きかったと思います。
移住しようと考えている方に何かアドバイスはありますか?
下準備はもちろん大事だと思いますが、勢いは必要だと思います。
実際に下準備を何年もかけても、うまくいかないときもありますから。だめなら、別を考えればいい。
まずは勢いで一回住んでみる。自分の一生の宝になるかもしれないですよ。とにかく、勢いを大切にしてほしいですね。
最後に将来の夢を教えていただけますか?
カヤックやヤギの散歩といった観光業を立ち上げました。また、今後はヤギ牧場も計画しています。
これらの新しい観光産業で粟国島を盛り上げていきたいと思っています。
引き続き、移住当初からの目標の農業と、自然、動物に触れ合うスローライフを極めていきます。

ひろぽんさん
粟国島在住/航空会社常駐員 大阪生まれ。1歳になる前に大阪から家族で沖縄本島に引っ越し。スローな生活に憧れて、粟国島に2009年に移住した。航空会社に勤めながら、農業やレジャー産業にも積極的に携わり、新しい観光産業で粟国島を盛り上げていっている。