気乗りのしない粟国島移住だったが…!?

admin_yakuba 2018年11月12日

『粟国の生活の魅力(住民ブログ)』を担当しています、當眞(とうま)恵美です。

粟国移住12ヵ月目、約1年が経とうとしています。
「住んでみてどう?」とよく聞かれますが、そんなときは「半年くらい経って、だんだん楽しくなってきた」と答えています。わたしの場合は夫がこの島で就職し、子どもが幼いこともあり、気が進まないまま妥協して粟国に移住したという経緯があるからです。

家族で移住する場合は、家族全員が望んで移住するのが理想的だけれど、誰かがそうではなかったという場合も少なくないのではないかと思います。なので、我が家のようなケースも参考にしていただければと思い、率直な感想を述べたいと思っています。

10年前に一度訪れた粟国島。しかしながら、そこで何をしたか記憶にないほど、印象に残っていなかった…

わたしは島ないちゃー(沖縄在住の県外出身者のこと)で、粟国移住前に沖縄の中部に魅せられ、約17年間沖縄の中部に住んでいた。ところが、子どもの保育園入園が決まった時期に、夫から島への移住の話を持ち出されたのだ。

一度くらいは離島に住んでみたいと思ったこともあったのでラッキーと思ったが、それが粟国島だと聞いた時は正直閉口した。というのも、10年前くらいに一度粟国に訪れたことがあるのだが、どんな島で、なにをしたか記憶に残っていないことくらいしか覚えていない島だったからだ。

わたしが住んでみたかった離島とは、慶良間諸島や八重山諸島のような観光地化されている離島だったのだとその時気がついた。粟国島への移住に気乗りしないため、夫と別居することにした。しかし、わたし独りでの子育ては思っていたよりも辛く、半年が過ぎた頃限界が来た。

やはり子育てには夫が必要だという結論に達し、粟国に行こう!!
とりあえず1年間は住んでみよう!! というわけで、移住を決めた。

移住してからの就職先探し。運良くとんとん拍子に仕事が決定!

移住する際には、やはり就職口が気になるのではないだろうか。わたしの就職活動が始まった。

前職を活かせそうなのは観光協会だと考えて、求人を出していたわけでもないが厚かましくも就職できないか問い合せてみたところ、運良く翌年の4月から採用が決定した。働くまでの3ヵ月間は無職で過ごす予定だったが、農協JAでレジ打ちの求人を見つけたので、短期間という条件付きで応募してみるとこちらも採用が決まった。

とんとん拍子で仕事が確保できて一安心したところで、約1ヵ月間フリー。
夏だと海に行って過ごせるが、このとき12月。亜熱帯気候の沖縄といえども、冬である。
太陽が出て暖かい日は泳げないわけでもないが、寒いから泳ぎたくない。

きっかけはアパートの空き地の雑草刈り!

その頃、夫は早朝や休日の度、鎌でアパートの雑草をよく刈っていた。ある日、それを手伝ったのをきっかけに雑草刈りが楽しくなり、運動を兼ねてアパートの空き地の雑草を鎌で刈るようなった。雑草でボーボーだった空き地が2週間後、見違えるようにすっきりした。

放置したらまた雑草が生えるので、その空き地を畑にすることにした。シャベルを購入し、畑にするために空き時間を見つけては土を耕した。

そんなある日、近所に住む方がトラクターであっという間に空き地を畑にしてくれた。

その際、うちの子をトラクターの運転席に乗せてくれた。動くトラクターに乗れて、わが子は大喜び。「これは粟国に住んでいる特権だな」と初めて思った瞬間だった。あとから聞いた話だが、アパートの雑草を鎌で刈る姿が好印象だったようで、手伝ってもらえたようだ。

わたしが粟国に住み始めて楽しいと感じ始めたきっかけが、“畑”だと断言できる。

余談だが、沖縄本島は全国でも過密地域のひとつで、畑を持つのは意外と難しい。わたしも本島に住んでいるときは、プランターにハーブを植えたことしかなかった。

野菜づくりはおもしろい。さらに、収穫の楽しみが田舎暮らしのモチベーションになる

畑になったアパートの空き地で野菜を育て始めた。それ以来、家庭菜園や農業をされている方と話すことが多くなり、さまざまな野菜づくりの方法や粟国の風習など、いろんなことを教えていただいている。

野菜づくりのおかげで、近所の方と共通の話題が持つことができた。自分で野菜を育てるのはおもしろいし、野菜を収穫する楽しみができたことが田舎で生活する上でのモチベーションになっている。

野菜が収穫でき始めた頃、つまり移住して半年たった頃、粟国での生活も悪くないと思い始めてきたのである。

(つづく)

粟国島を写す!日々違う美しさを見せてくれる海と空と自然
新米ハルサー奮闘記